コラム

働く母、海外赴任に挑戦する(前編)

2016.7.20

今回ご登場頂くのは、大手素材メーカーに勤務する光美さん。なんと、現在ドイツに単身赴任されています。お二人のお子さんとご主人は、日本に残ることを選択しました。
母としての葛藤や、家族と離れる寂しさが、無いはずなどない。それでも2度と無いチャンスが、いつの日かと願っていたチャンスが巡ってきたら?
光美さんの選択を、その背景も含めた生々しさとともに味わってください。

Q. 実は、専業主婦をされていた時代が10年間あったとか?

実は、今の会社は「出戻り」です。
大学院卒で新卒入社した私は、入社当時24歳でした。既に結婚が決まっていて、入社2年目の夏に第1子の長女を妊娠し、3年目に入った4月末に出産しました。つまり、新卒で入って2年経たないうちに産休・育休に入ったわけです。

もちろん戻るつもりでした。なので先輩の話を聞きたくて社内を色々と探しましたが、当時数名いた総合職の女性は未婚の方ばかり。一般職に結婚している先輩はいても子供はいない。地方の工場勤務の方で子育てしながら働いている方がいると聞いて話を聞いてみたものの、あまりにも環境・状況が違う。
当時、上司もどこか「お母さんは家に居た方がいいんじゃない?」という感じでした。上司の奥様たちはみなさん家に居ましたしね。

保育園探しもしました。私の世代は、保育園に預けることがすごく特別なことだったと記憶しています。娘が21歳なので、20年以上前の話ですが。結局、預けてもいいと思える保育園には出会えませんでした。

相当悩みましたし、葛藤しました。そして「家族や生まれた娘には、私の代わりはいない。でも、会社には代わりがいる。」と、離職を決意しました。

働く母、海外赴任に挑戦する(前編)

Q.当時はどのような仕事をしていたのでしょう?

知的財産関連の仕事です。本当は法務希望だったのですが、配属で願いが叶わなかったんです。学生時代、独占禁止法やEUの法律を専攻していました。なので、メーカーでの法務の仕事はイメージできましたし、是非やりたい!と思っていたんですけどね。

Q. 10年間の専業主婦生活はどのようなものだったのでしょう?

“カリスマお受験ママ”ですね 笑。
会社を辞めた後に第2子の長男を出産するのですが、2人とも私立の幼稚園を受験をしました。そしてそこから毎日、満員電車で片道40分間の送り迎え生活です。娘はそのまま上の小学校へ。息子は小学校受験もしました。
息子が1人で小学校に通えるようになった日には、泣けるほど嬉しかったですね。これで好きなだけ二度寝できる!と 笑。でも、その生活を2週間続けたら飽きました。

日々、徹底的に子供に投資しつづける生活でした。何から何まで、子供のため。でもふと気づいたんです。全て私のコントロール下にあった存在が、徐々にそうではなくなっていく — 自分のマネージメントと違うことが起きた時にストレスや怒りを感じている自分がいて、「これはやばい事になっていくかもしれない」と。子供たちのためにも、自分のためにも、この状態を変える必要があると思いました。子育てを自己実現の手段にしてはいけない。親の役目は子供の自立をサポートすることなのだからと。

資格の勉強をしようか?など色々模索しましたが、結論、私には組織の中で働くことが向いていると考えて就職先を探し始めました。既に35歳になっていました。

Q. 組織の中で働くのが向いている と考えた理由は?

ママの世界は組織がないので混沌としているんですよ。先輩ママが上、子供が上なら上、強いママが勝つ とか。
会社組織は役割分担がきちんとしていて、会社に戻った時は天国かと思いました 笑。

Q. それで、今の会社に戻られたのですか?

いえ、最初は派遣会社に登録して、大手自動車メーカーの人事部で派遣社員として働き始めました。「社風ってあるなぁ。全然違うなぁ。」と感じました。

そこで「同じ企業で働くなら元いた会社だ」と、以前の上司に連絡してみると「法務部にポジションがある。会いにきなさい。」と連絡がありました。
もちろん、すごくやりたかった法務ではあります。とはいっても10年離れているわけで、ちょっとひるみながら会いに行ったことを記憶しています。結果、戻ることを決めました。断る理由ないですもんね。
念願の法務部は、当時10人所帯で女性は私一人でした。それもまた緊張感高いですよね。ちなみに今は20人の所帯で半分は女性になりました。

そこからは、「これは天職だ!」と思えるような仕事の日々でした。仕事が面白くて仕方ないという、非常に幸せな日々でした。

中編につづく…

 

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