コラム

【スペシャルインタビュー:前編】チューリッヒ保険会社ダイバーシティ推進室室長 葛井恵美さん

2016.3.29

今回は、特別編として、チューリッヒ保険会社ダイバーシティ推進室室長の葛井恵美さんのインタビューを掲載します。
葛井さんのこれまでの人生、キャリアをどう歩んできたか、という個人的なお話から、チューリッヒ保険会社のダイバーシティに対する考え方、具体的な取組みや今後のビジョンといった会社のお話まで幅広くお聞きしてきました。

前中後編の三部作ですが、今回は葛井さんの30代までの人生、キャリアについて、です。
現在、ダイバーシティ推進室室長をされている葛井さんがどのようなご経験をされてきたのか、是非ご一読ください。

葛井さんともさん

Q.これまでのキャリアの流れを教えてください。

短大卒業後、現在の損保ジャパンに就職しました。当時は、保険のことをろくに勉強せず、3年間の勤務後、カナダにホームステイするために退職しました。結局、ホームステイはトラブルがあって3ヶ月ぐらいで帰ってきてしまいました。

その後、24歳の時に「とらばーゆ」で事務職に応募したのが、チューリッヒです。当時は、キャリアに対してこだわりが特になかったですね。入社して、お小遣い稼ぎするぐらいの意識で、いい人見つけたら辞めようって思っていましたから。でも、当時のチューリッヒはまだ3年ぐらいの会社で何もない状態だったので、そんな私に色々と仕事を任せてくれました。その仕事にまっすぐに向き合ったら、自分の存在意義を感じることができて、仕事が楽しくなってきたんです。

Q.キャリアにこだわりがなかったとのことですが、“仕事を任される”ことには抵抗がなかったのでしょうか?

仕事をする中で、目覚めたのでしょうね。会社には目覚めさせてもらって感謝しています。その後、20代後半で事務部隊の課長職になり、30歳ぐらいの時には、取引先企業における共済会立ち上げのため、事務管理の責任者としてシステムを含めた事務まわりすべてを構築する仕事を任され、1年半出向しました。そのプロジェクトは成功し、結果を残すことができました。今思えば、ここで感じた達成感やチームビルディングに充実感や楽しさを感じ、ますます本気で仕事をやっていきたいと思い始めました。
そして、出向から帰ってきた時に、営業課に異動になりました。もともと営業職は男性がするイメージがあったので抵抗がありましたが、実際にやりはじめたら営業が本当に楽しくて…やる気と共に運がついて来るものだなと思いますが、35歳には部長に就任しました。ちょうどチューリッヒが大きく成長していく時代に突入していたこともあり、本当に仕事が面白かったです。

Q.では、30代は仕事にのめり込んでいったのですね?

勿論、仕事は楽しかったので、のめり込んでいたのですが、一方で子供が欲しいなとは思っていました。今思えば、母親から女性に産まれたのであれば子供を産んだ方が良いと言われてきたことも影響していたかもしれません。年齢のこともあり、焦ってお見合いをして33歳の時に結婚しました。
その後、子供を授かったのですが、夫婦関係はすれ違いが生じて、子供が3歳の時には別居、子供が5歳の時に離婚をして親権を得ました。離婚当時は子供が「なんで、別々に暮らすの?」と泣くので、こっちもイライラして「そんなに言うならパパのところにいけば?」と言ってはいけないことを言ってしまったこともありました。もうこちらもいっぱいいっぱいで2人で抱き合って泣いたりして、この時期は子供と2人で乗り越えてきた感じです。これまでも今も、子供は私にとって最大の心の支えです。

Q.仕事と育児の両立はどのようにされてきたのですか?

当時は、出産のギリギリまで働いてすぐに復帰するのが普通でしたね。たった15年前ですが、育休なんてとったら会社を辞めてくださいと言われていた時代でした。私も職場に迷惑をかけたくなかったので、臨月の大きなお腹でお客さまの所に行っていました。
復帰後も、子供を理由にするのは嫌だったので育児の部分をできるだけ見せないようにしていました。子供が発熱してしまった時も、自分の母親とベビーシッターにお願いして、上司から「帰らなくて良いのか?」と心配されたりしていました。振返ると、当時は男の人の中でやっていかなければならない!と背伸びして格好つけていたのでしょうね、子供の写真は仕事中、絶対見られませんでした。

Q.お子さんは、仕事に対してどのように思っていたのですか?

40歳すぎてから何度か「チューリッヒを辞めていい?」と子供に聞くといつも、泣きながら「辞めないで!」と言われました。ママが本当につらいなら辞めてもいいよ、と寂しそうに言うときも。
週末仕事に行く時は一緒に会社に行き、横で宿題をやることもありました。3.11の震災後は、オペレーション部隊を札幌に一週間移動しましたが、その時には子供を連れてホテルで過ごしました。ずっと子供と一緒に仕事をしてきましたし、職場の人達やその人間関係もみていたので、産まれてからずっと「チューリッヒのママ」なんだと思います。

Q.職場に子供を連れて行っても、受け入れてくれる職場だったのですね。

職場のチームワークが凄く良かったし、周囲の方は応援してくれていました。この人間関係があったので、乗り越えてこられたのだと思います。1人でできることなど、たかが知れていますから。今でも人間関係は凄く大事だと思っていて、職場で良い人間関係が築けなかったら、良い仕事ができるとは思えません。

Q.30代のキャリアを聞いていると、まっすぐ進んでこられたという印象がありますが、どうですか?

そうですね、30代はチューリッヒにずっと居たいというまっすぐな気持ちでいましたね。この時期は、営業の責任者として、予算として約束したことは絶対に成し遂げる、それを重ね続けていくことで信用を勝ちとる、ということを、身をもって学びました。部下の男性たちと一緒にチームワークで新規開拓や様々なスキームのしくみづくりや予算達成の面白さ、楽しさを味わっていた頃です。
男性チーム、女性チームと分けて語ってはいけないのでしょうが、男性チームの良さは、女性チームのそれとはまた違いますね。この時期は、大きな成長を続けていけた時期でしたから、前進している実感がありましたね。男性部下や厳しい男性上司の強いリーダーシップの元で、女性であるということを含めた自分の強みを自覚し、それが活きる、という自信をもった時期でもありました。

中編に続く…

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